5.26.2014

創造的人生の持ち時間は10年



金曜の会社帰りに「風立ちぬ」を観てきました。講演会に行って宮崎監督の話を聞いてきたような、そんな気分にさせる作品でした。子供向けではなく、万人受けも狙ってなさそうな本作が監督の長編引退作になるのなら、それに相応しい作品だったと思います。 

喫煙シーンが多いとの批判があったようですが、宮崎監督自身が東日本大震災直後に仙沼市の漁師さんにタバコを支援物資として送ったほどの「愛煙家」であることを踏まえれば、監督自身を反映している作品であることを明示しているかのようです。当時はいたる所で皆が煙草を吸っていた時代であり、実のところ喫煙の場面は心情を表す上で効果的に使われてはいるのですが、今のモノサシだと違和感が生じて批判も出るのでしょう。松田聖子の「赤いスイートピー」に "タバコの匂いのシャツに そっと寄りそうから" という歌詞(松本隆)がありますが、あの心情も次第に理解されなくなるのでしょうね。一方で、「千と千尋の神隠し」はソープランドの話なのに大絶賛されたのは、宮崎監督が言う通り「日本はすべて風俗産業みたいな社会になってる」ので、違和感がなかったからでしょうか。

劇中で提示される「ピラミッドのある世界とない世界、どちらが好きかね」に対する万人受けする答えが無いように、見解の相違、賛否両論を招くことは承知で作られていると思われます。
その上で自己矛盾や自己欺瞞を抱えても、「創造的人生の持ち時間」に力を尽くせ、と説きます。前時代的な思考かもしれませんが、何らかのモノ作りに携わったことのある人になら響く言葉ではないでしょうか。息子の宮崎吾朗に宛てたのなら、あまりにベタですが。

本作では、さらに堀辰雄のサナトリウム文学から「菜穂子」が登場します。彼女は人生そのものに限りがあることを悟った上で、心に正直に生きていくと決め、結婚式での美しさに昇華されます。たとえそれが死期を早める日々となっても、「けれどしあわせ」という「ひこうき雲」の歌詞にも重なって、創造的人生だけでなく、人生そのものも、「僕たちは一日一日を大切に生きているんだ」と主人公が言い切るに至ります。
二人の倫理を越えた覚悟に(観客を含め)外野がとやかく言えることは無いのですが、周囲にかける迷惑や心配についてはオブラートに包んでいます。当時は、広く伝染し得る「不治の病」、「死の病」だったことをもう少し強調しておいた方が良かったかもしれません。

時間は限られていると覚悟して力を尽くす「生き方」は、死を意識して生きる「死に方」でもあります。だからこそ死をテーマにした「ひこうき雲」がよく合います。「創造的人生」のピークを過ぎた宮崎監督も、これからどう生きるか、死ぬかを思案しているかのようです。長編引退作として相応しいと思った理由がここにあります。「やめるやめる詐欺」的な傾向もある監督ですけどね。