11.10.2013

ドライブ・マイ・カー 女のいない男たち

ドライブ・マイ・カー  女のいない男たち
村上春樹 

文藝春秋12月号への特別寄稿、書き下ろし短編。
まずタイトルだけで一抹の不安を感じてしまった。当然、発表を伝える記事も、一様に「ベストセラー小説 「ノルウェイの森」と同様、ビートルズの楽曲にちなんだ」と報じていた。アルバム「ラバー・ソウル」の A面 1曲目が Drive My Car で、 2曲目が Norwegian Wood - ノルウェーの森。 どうせなら 「ラバー・ソウル」 の曲目でそろえた短編集を出すぐらいの、潔い あざとさがあればいいのに。短編でさえ冗長になってるので、長編ではなく、「神の子どもたちはみな踊る」か「東京奇譚集」みたいな短編集が出たらいいな、と思います。

読後感としては、良い悪いというよりも、本当にこれが新作書き下ろしなの?かなり前の没原稿に手を加えただけでは?という印象が強かったです。作風としても目新しさは感じられなかったし、舞台となる車が サーブ 900 コンバーティブル というのも、いまさら感が否めない。 同車種が登場する、ジャック ニコルソン主演の1997年の映画 「恋愛小説家」 (As Good as It Gets) を思い出したせいかな。

「新車で買って12年」とがあるが、900 コンバーティブル (日本での名称は 900 カブリオレ)の販売は1986年から93年型ぐらいまででは。以降は英オペルがベースの 9-3 シリーズなので、この物語の設定は 2005年頃かそれ以前となる。車について言及しているのに、その辺の微妙なところに新鮮味がないというか、新作書き下ろしに感じられない一端なのかな。僕が SAABに乗ってたから気になるというのもありますが。

売上と話題のためだろうが、今年もノーベル賞騒ぎがあり、受賞の誤報ですら毎年恒例になりつつあるけれど、あの騒ぎは本当にみっともない。一方で作家自身が有無を言わさぬような作品を出してれば、まだマシなのに、「多崎つくる」も月並み以下だった。
ファンとしては、この久し振りの短編には 「やっぱり それでも村上春樹だよなー」とか言ってみたいという、淡い期待すらあったのだが、出来としては、A面 1曲目というよりも、旧譜を再発する際に収録されたボーナストラックの未発表音源みたいなものでした。

文藝春秋 は海外向けにも電子版の配信をしていて、iTunesの文藝春秋アプリの App 内購入で最新号を発売当日に $9.99で購入。 旧 iOS 仕様で画面も小さいが、海外アカウントでも購入できるのは良いと思う (滅多に買わないとは思うけど)。


なお村上作品の直前には、"芥川賞作家の提言" として藤原智美の「ツイッター フェイスブック 私はつながりたくない」というエッセイ掲載されている。 本や活字への愛、思考と検索の違い、SNSでのつながりではなく読書により自己との対話をつきつめたい等のことが、ごく月並みに綴られている。
それはそれとして、最後はこの一文でまとめられている 引用: 「やがてすべては電子書籍という名で、ネットのつながる世界へと回収されていくのかもしれない。しかし私はいっこうにかまわない。本を手放さない世界最後のたった一人になろうとも、やはり頁をめくりつづけるだろう。」

単なる読者の立場としてならそれも構わないが、芥川賞作家の、言葉の送り手の提言として、これが文藝春秋アプリに載って発信されるというのは、大いなる矛盾ではないのか?その "つながりたくない" という熱い想いが、こうしてアプリで買われ、iPhone で読まれ、感想を Facebook に載せられ、ましてや「いいね」とかもらっちゃったりして "つながる"  ことについては、どうなんだろうか。創作者、表現者として発信するものが、どう消費、読まれ、拡散されていくかについての姿勢が、もっと芥川賞作家目線で語られなければならないはずなのに。